丸薬を二粒ほど口に放りこみ、義久の差し出した瓢箪の水で流し込んだ。
水はわずかだった。
義久は、空になったそれを藪の中に投げ捨て、せかせた。
「さあ、黒駒に乗れ」
「皆が乗るわけにはいくまい」
「そのようなことを言っている余裕はあるまい。追手は、すぐそこまで来ておるのだぞ」
義久の言葉に誇張はなかった。
蹄の音はますます近づいて来る。夜目のきくイダテンの瞳には、崖沿いの曲がりくねった道を駆けてくる追手の姿が映っていた。
「道も悪い。その馬の怪我、決して浅くはあるまい。無理をすれば脚を折るぞ」
その言葉に、姫が義久を振り返る。【植髮分享】如何提高植髮成功率? -
黒駒が、それほどの状況とは思っていなかったようだ。
血に濡れた沓を履き直すと、腰に手挟んでいた手斧を引き抜いて立ち上がった。
義久の差し出した手を振り切り、左足をかばいながら隈笹をかき分け、転がっていた猪の骨を踏みしだき、三間ほど先にある杉の木に向かった。
下流側には竹藪がある。
杉の木に背中からもたれかかった。
幹には幾重にも縄が回されている。
迫りくる追手の様子をうかがい、姫の様子をうかがい、一息おいて、その縄をめがけ、手斧を振るった。
断ち切られた縄が、目にもとまらぬ速さで奥の竹藪に引きこまれると、限界まで反り返っていた幾本もの竹が、もとに戻ろうとする力で鞭のようにしなり、空気を切り裂いた。
わずかに遅れて、数えきれないほどの矢が、うなりをあげて上空に飛び出した。
竹のしなりを利用した巨大な弓の仕掛けだった。
こすれた竹の葉が千切れ、舞い散った。
追手がいるあたりから悲鳴に近い怒号が聞こえた。
うなりをあげて襲ってくる物が、なにであるかに気づいたのだ。鏃や矢羽を持たない即席の矢は、威力や正確さでは本物に引けを取ったが、月が欠け、竹藪が空を覆った闇のなかでは充分な効果をもたらした。
矢が降り注いだあたりから兵と馬の悲鳴が聞こえてきた。
馬の下敷きになったものもいるだろう。
息を吸い込み、歯を食いしばると、今度は、右隣の木の根元に回された縄をめがけて、手斧を投げた。
幾本もの竹がしなり、空気を切り裂いた。
再び悲鳴が響き渡った。
崖下に転げ落ちる音もする。
矢を避けようとして足を踏みはずしたのだろう。
*
正面から矢が降り注いできた。
馬は暴れ、あわてた兵が逃げようとして混乱に拍車をかけた。
馬や人が倒れる音がする。
馬に体を寄せられれば避けるすべはない。
「動くな!」
「伏せろ!」
「馬から降りろ」
懸命に繰り返すが、恐慌をきたした者どもの耳には入らない。
再び、闇を切り裂く音が聞こえた。
まわりの兵や馬が次々と倒れた。
悲鳴や呻き声が聞こえてくる。
泣き叫ぶ者もいる。
馬の下敷きになった者も崖から転落した者もいるだろう。
修羅場だった。
闇夜に近い状況が、さらに恐怖を膨れあがらせる。
経行は唇を噛んだ。
自分はここで命を落とすのだろうか。
こたびの戦で初めて馬に乗ることが許された。
馬は玉利様のものだが、これで堂々と武者として名乗れる。
領地ではないが、稲葉と言う地の収穫の一部も経行の物になるという。
早くに連れ合いをなくし、自分達を食わせるために、ろくでもない男のもとに嫁ぎ、苦労してきた母に楽をさせることができる。
そう思った矢先にこれだ。
立て籠もった山賊どもを退治するための後詰だと聞かされていた。
それがどうだ。ひとつの郷を埋め尽くすほどの軍勢が、はせ参じていた。
山賊どもへの備えではないことは童でもわかる。