「そなたが頼む故、泣く泣く胡蝶の婚礼を早めたが……儂はどうにも気が進まぬ」
「何故でございますか? 胡蝶と蘭丸殿を引き合わせたのは、上様ご自身ではありませぬか」
「胡蝶の存在を守るべく、致し方なくしたことじゃ。出来るならば嫁になどやりとうはない。それが父親というものじゃ」
「これはなことを。他の姫たちは、何のいもなく他家へ嫁がせたではありませぬか」
「躊躇いもなくとは人聞きの悪い。秘かに心を痛め、身を斬られるような思いで送り出していたのだ」
濃姫は “ 本当だろうか? ” という目で夫を見つめると
「どちらでもよろしゅうございますが、娘を嫁がせたくないのが父親の思いならば、
適齢までに送り出したいのが母親の思いにございます。胡蝶も来年で十五歳になります故」
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「私が上様に嫁いだのも、数え十五のにございました」
濃姫は昔を懐かしむように言った。
「そうであったか…。己の婚儀の時のことなど、よう覚えておらぬ」
そう話す信長の横顔に、濃姫は思わず呆れ顔を向ける。
「覚えておらぬのも当然でございましょう。三日続いた婚礼の儀の内、上様がお顔を出されたのは初めの一日、それも夜の祝宴だけだったのですから」
「そうであったか?」
「そうでございますとも。 ──大遅刻の末、ようやく現れたと思えば、派手な袖無しのをお召しになり、
腰にはやら袋やらを幾つも下げて、まるで山賊のようなお姿で。あの折は、まことに驚き入りました」
「ま、若気のりというやつよ」
愉快そうに信長が笑うと、濃姫は気持ちを立て直すように一つ咳払いをして
「とにもかくにも、胡蝶には、私の折のような婚儀をさせとうはございませぬ故、
蘭丸殿への焼き餅は程々にして、美しくも格式高い、粛々とした婚儀にして下さいませ」
一生に一度のことなのだからと、信長に強く訴えた。
「分かっておる。内々に執り行う婚礼じゃ、どちらにしても粛々としたものになるであろう」
「それと、婚儀の席ではあまり華美な装いは控えられますよう」
信長が召している、や銀刺繍がふんだんにに目を向けながら、濃姫は軽く釘をさした。
「分かっておる。肩衣か直垂の正装で参る故、安心せい」
「お願い致しますよ。胡蝶の婚礼を見届けたら、私も心置きなく、上様と共に世界へ参れます故」
ってそう言う妻に、やおら信長はな眼差しを向ける。
「…そなた、まことに良いのか?」
「何がでございます?」
「儂に付いて参ったら、いつこちらへ戻って来られるかも分からぬのだぞ。胡蝶にも会えぬようになる」
「まぁ、そのようなことを案じて下さっていたのですか」
濃姫の両頬に小さなが出来る。
「左様なこと、上様に付いていくと決めた時から覚悟しておりまする。胡蝶とは十数年間ずっと一緒に暮らして参りましたし、
あの子がこちらで健勝に、幸せに過ごしていてくれるのであれば、私はそれだけで十分なのでございます」
濃姫はそう告げると、居住まいを正し、真っ直ぐに信長を見据えた。
「私は上様の正室として、この命が尽きるその時まで、上様のお側にいたいのです」
「お濃」
「それに上様は以前、私に “ 世界を見せてやる ” とお約束下さいました。そのお約束、どうか果たして下さいませ」
やおら信長の手を取り、濃姫は願するように小さく頭を垂れた。
信長の双眼に愛情の宿った光が帯びる。
「…異国に参れば危険なことも多いぞ?」
「それも覚悟の上にございます」
「日の本とは言葉も暮らしぶりも違う。後悔しても知らぬぞ?」
「上様と共に世界へ参れなければ、もっと後悔致しまする」
快活に答える妻を見て、信長は薄い唇の間から白い歯を覗かせた。
「──ならば付いて参れ。そなたの気が済むまでな」
「であれば、一生お供することになりますが、よろしゅうございますか?」
「好きに致せ」
穏やかに微笑む信長に、濃姫も「はい」と、